マカオで1番の観光地「聖ポール天主堂」は、アジア最大の教会およびアジアで最初の西洋式の大学として誕生しました。
日本人キリシタンとの関わりも深いこの場所には、驚きの秘密が隠れています。
これまでにご案内したお客様はのべ1万人以上、マカオ在住11年のマカオ政府公認ガイドが、聖ポール天主堂跡の歴史の謎に迫ります。
聖ポール天主堂の成り立ち
聖ポール天主堂跡は、1582年にイエズス会のアレッサンドロ・ヴァリニャーノ司祭により建てられました。
ヴァリニャーノ神父は日本各地にセミナリオ(青少年のための修道院)を作り、長崎からヨーロッパへ天正遣欧少年使節団を派遣した人物です。
このマカオの巨大な教会は、極東地域にキリスト教を布教するための拠点となりました。
遠藤周作原作の映画「沈黙ーサイレンス」には、マカオの聖ポール天主堂で、司祭たちが日本へ渡る相談をするというシーンがあります。
聖ポール天主堂と日本
聖ポール天主堂はとても大きな教会でしたので、スペイン・バルセロナのサグラダ・ファミリアほどではありませんが、建設に数十年間を費やしています。
ポルトガル人が行った日本と中国の中継貿易により、石見銀山から仕入れた1トン以上の銀が、建設費として使用されました。
1640年の完成に至るまでの間、日本では
- 1582年 本能寺の変
- 1587年 秀吉による「バテレン追放令」発布
- 1597年 日本26聖人の殉教
- 1612年 江戸幕府による「禁教令」およびキリスト教徒迫害
- 1637年 島原の乱
- 1639年 鎖国
などの出来事が起こりました。
キリスト教の弾圧を逃れ、または日本を追放されてマカオへやってきた日本人キリシタン達が、聖ポール天主堂の建設に参加したと伝えられています。
完成から風雨にさらされながら、数百年経った今でも美しい彫刻を目にすると、胸に迫るものがあります。
日本人が建設に参加した証拠だと言われる、精緻な彫刻の見どころは、こちらをご覧ください。
聖ポール天主堂にまつわる都市伝説
聖ポール天主堂は、同じくイエズス会の神父が管理するモンテの砦と合わせて、1つの大きなキリスト教複合施設の一角でした。
教会には多額の埋蔵金があり、砦へ向かう隠し通路があるという話は、都市伝説のように広がり、マカオ人の間で有名になりました。
教会が火事になり、再建が打ち切られた後、多くの人が埋蔵金を見つけ出そうとしましたが、謎の財宝は未だに見つかっていません。
大火で焼失
教会は何度も火事に見舞われました。
1601年の火事の後、1602年に再建されましたが、1835年に再び全焼し、それ以来修復は行われていません。
現在では大きな石の彫刻・ファサードのみが、ハリボテのように残っています。
聖ポール天主堂跡の歴史を知ってもっと楽しく
マカオで1番人気の観光地、世界遺産聖ポール天主堂跡。
幅19mの大きな壁は、迫力たっぷりで見応えがあります。
ぜひ日本と教会にまつわる歴史や、彫刻に隠された意味を知ってください。
そうすることで、ただの写真映えスポットがもっと魅力的に見えてきますよ。
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