マカオはカジノ収益世界一の地域として知られています。
カジノ税は収益のおよそ4割。
2019年にはマカオ政府の財政収入の85%がカジノ収益となるほどに産業が成長しました。
マカオのGDPの4割がカジノ産業から創出されます。
「アジアのラスベガス」「東洋のモンテカルロ」と称されるマカオには数百年に渡るギャンブルの歴史がありますが、現在のような発展を遂げたのはついここ20年のことです。
マカオのカジノの歴史を紹介します。
※1MOP(マカオパタカ)=約14円情報は2022年3月8日現在のものです。
マカオのカジノの始まり
マカオで賭博が始まったのは16世紀にさかのぼります。
中国人は昔から賭け事が好きな性格で、古典にも賭け事をする話がよく出てくるほどです。
中国人が3人集まれば賭け事が始まる、なんてよく言われます。
当時賭け事を始めたのは中国から移民してきた建築業者や港湾物流業者、お手伝いさんなどで、街のあちこちに小さな賭博場を開設していたそうです。
誰でも賭博露店を開くことができた19世紀の清朝末、マカオには青空賭博場が200数か所ありました。
活気に満ちた一方で、賭博場はやくざ者たちが毎日のように刃傷沙汰を起こす無法地帯でした。
政府の許可を得た最初のカジノ
1842年アヘン戦争で香港がイギリスに割譲された後、マカオの貿易港としてのシェアはすっかり香港に取って代わられました。
そこでマカオのポルトガル政府は、産業の多角化と財源確保を狙って、1847年に賭博場開設の入札制度を導入しました。
これでカジノからの税収を得られ、賭博場を政府の管理下に置くことができるようになったため、治安も良くなりました。
1850年代には、現在でも一部のカジノで楽しまれているレトロゲーム「ファンタン」専門のカジノが200軒以上存在しました。
19世紀後半、カジノはマカオポルトガル政府の主な収入源となり、マカオは東洋のモンテカルロと呼ばれ始めます。
マカオのカジノ王
マカオには歴代のカジノ王と呼ばれる人々がいました。
よほど詳しい方でなければ聞いたことはあまりないと思います。
マカオ最初のカジノ王親子
マカオ最初のカジノ王と呼ばれたのは、何老桂(ホーロウグヮイ)です。
19世紀半ばに中国からマカオに渡ってきて、広東省発祥のギャンブル「闈姓(ワイセン)」を始めました。
これは科挙の合格者を当てるというものです。
中国人の手にかかれば、何でもギャンブルになるんですね。
何老桂食肉業界や不動産、洋薬(アヘン)、銀行業(金貸し)、荷役などの組合が1階に入るビルを建て、その上にファンタンや大小、麻雀などを行う賭博場を開きました。
さらにビジネスマンがちょっと休憩していけるような「談話室(アヘン吸引室)」を作りました。
続いて息子の何連旺(ホーリンワン)がマカオ第二のカジノ王と呼ばれました。
100軒以上のファンタンを行うカジノを経営し、盧華紹(ロウワシオ)などともにファンタンで大きな財を築きました。
また広州から上海、ベトナムにまで「闈姓」を広め、仁慈堂でヨーロッパ式の宝くじを始めました。
食肉業、アヘン販売、金貸し、不動産、商工会議所などのトップとして、長く鏡湖慈善会の会長でもありました。
※鏡湖病院はマカオの大きな私立病院
自宅が世界遺産になったカジノ王
3番めのカジノ王と言われたのが盧華紹(ロウワシオ)です。
世界遺産の見どころの1つ、盧家屋敷のオーナーであり、ロウリムイオック公園を作った盧廉若の父です。
盧華紹は「宜安公司」という会社を作り、カジノ、風俗、バー、アヘン窟をまとめた複合施設を経営しました。
香港マカオ中国の政府高官や富裕層を喜ばせました。
豪華なサービスを始めたカジノ王
1930年には霍芝庭(フォクジーテン)の「豪興公司」が年80万パタカのカジノ税を払い、市場を独占しました。
霍芝庭はセナド広場の近くに絢爛豪華なカジノを開設し、ドリンクやフェリーチケットの無料サービスなど、現在につながる顧客サービスの基礎を築きました。
彼は広東省の海軍大将と親交が深く、軍事物資の供給とカジノ経営で2,000万元もの資産を手にしました。
マカオでバカラを始めたカジノ王
1937年にマカオポルトガル政府によるカジノ業界の改革が行われ、高可寧(ゴウホーニン)と傅老榕(フーロウヨン)が立ち上げた「泰興娛樂總公司」が、年180万パタカでマカオのカジノ市場を独占しました。
彼らはセナド広場近くの中央酒店6階にカジノを開設し、バカラなど現在でも人気の高いゲームをマカオに紹介しました。
伝説のカジノ王
そして1962年、霍英東(フォクインドン)、何鴻燊(スタンレーホー)、葉漢(イップホン)、葉德利(イップダッレイ)の4人が立ち上げた財団澳門旅遊娛樂有限公司(STDM)がマカオのカジノ経営権を取得、その後40年に渡る市場独占をしました。
1998年には日本のパチンコをマカオに取り入れました。
現在マカオでパチンコ台を置いているカジノは見かけませんが、日本のパチスロメーカーのスロット台は大手カジノでもよく見ます。
スタンレー・ホーさんは2021年に98歳でなくなりました。
リスボアのオーナーである彼を題材にした映画や半生を描いた本が何本も作られ、マカオの伝説的なカジノ王として有名です。
マカオカジノの急発展
中国返還後、マカオ政府はカジノ経営権を一般開放することを決めました。
これによりSTDMの独占は崩れ、2002年STDMに加えてラスベガスのサンズとウィンがマカオでのカジノ経営ライセンスを取得しました。
その後政府はライセンスの発行を、STDMとウィン、ギャラクシーに発行すると変更しました。
2004年初めてラスベガス式のカジノ、サンズがマカオに誕生します。
同年ギャラクシーの最初のカジノ、ワルドが開業しました。
2006年にウィンマカオ、スターワールドが開業。
同年、マカオのカジノ収益はついにラスベガスを抜き世界一になりました。
マカオのカジノ総数
現在マカオには42のカジノがあり、マカオ半島に25軒、タイパとコタイ合わせて17軒が営業しています。
運営会社ごとの内訳は以下の通りです。
- SJM(旧STDM)23
- ギャラクシー6
- ベネチアン(旧サンズチャイナ)5
- メルコ4
- ウィン2
- MGM2
マカオ主要ホテル開業年表
マカオ主要ホテル開業年表 | |
1970年 | リスボア |
2004年 | サンズ |
2006年 | ウィンマカオ |
スターワールド | |
2007年 | MGM |
グランドリスボア | |
2009年 | シティ・オブ・ドリームス |
2011年 | ギャラクシー |
2015年 | スタジオシティ |
2016年 | ウィンパレス |
パリジャン | |
2018年 | MGMコタイ |
2021年 | グランドリスボアパレス |
リスボエタ |
マカオカジノの収益推移
マカオのカジノ収益は、2013年に過去最高のMOP3,607.5億(約5兆円)に達しました。
しかし中国本土の腐敗防止政策の影響を受けて3年連続で減少し、2016年にはMOP2,232.1億(約3.1兆円)でした。
2017年から2018年にかけては14~19%ほど回復し、2018年の収益はMOP3028.4億(約4.2兆円)でした。
2020年はコロナの影響で収益がガクンと下がりました。
2020年2月にカジノ従業員の新型コロナ陽性が判明し、マカオ内全41か所のカジノが15日間営業停止となりました。
この半月間の損失は、MOP15億(約210億円)と言われます。
2021年収益は前年比40%アップし、市場は回復の兆しを見せています。
これからのマカオカジノ
コタイストリップでの大規模開発は続いており、コロナ禍にも関わらず昨年も新しい複合型リゾート(IR)が誕生しました。
一方で、コロナ禍で観光業が壊滅し、カジノだけに頼らない多角的産業への転換を迫られたマカオ。
今年はカジノVIPの案内を専門に行ってきたジャンケット運営会社サンシティグループとタクチュングループのトップが相次いで逮捕されるなど、今後の展望は波乱含みです。
また今年6月には上記6つのカジノ運営会社のライセンスが期限切れとなります。
政府がどのように動くのか、動向に注目が集まっています。