中国に悲しみと屈辱を与えたアヘン戦争の裏には、英雄の戦いのストーリーが記録されています。
当時清朝で唯一の貿易港だった広州に近いマカオもまた、歴史を動かす大きな時代の流れに巻き込まれた1つの舞台でした。
マカオには、アヘン戦争前夜の緊迫した状況を再現した林則徐紀念館という場所があります。
歴史を学べる林則徐紀念館を訪問しましたので、ご紹介します。
蓮峰廟と林則徐紀念館へ、取材に行ってきました。
林則徐はアヘン撲滅に貢献した方ですね。
隣接する蓮峰廟は、彼がポルトガル役人と会談を行った場所です。蓮峰廟には、医者の神様や観音様、媽祖、関帝などたくさんの神様がまつられています。
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林則徐紀念館の展示
林則徐紀念館は、清廉潔白な役人だった彼を、麻薬撲滅の英雄として称える紀念館です。
館内では、
- 林則徐の生い立ち
- イギリスの非道な三角貿易
- アヘンの蔓延が中国に与えた影響
- 麻薬撲滅のための厳しい政策
- 林則徐がマカオで行ったポルトガル人との会合の様子
などが紹介されています。
アヘン吸引を学ぶ少年の写真や、アヘンを吸いながら記念写真を撮っている男性の写真など
当時の資料を見ていると、正義の人・林則徐の将来に対する憂いが見えてくるでしょう。
林則徐紀念館の見どころ
ポルトガル役人との交渉に訪れた場面を描く、美しく迫力のある林則徐のレリーフは見どころです。
実際に会談が行われたのは、同じ敷地内にある蓮峰廟(れんぽうびょう)の中で、誰でも見学することができます。
物語の舞台となった東屋の意匠は、マカオで最も優れたものです。
紀念館でアヘン戦争や林則徐の歴史を学んだ後は、ぜひお寺に立ち寄ってみてくださいね。
紀念館には林則徐自筆の書や、アヘン禁止の規定に関する書類なども展示されています。
緊迫した当時の様子が伝わってくるようです。
愛国の英雄・林則徐
林則徐という人物をご存じですか?
林則徐は福建省出身の役人で、麻薬撲滅を訴えて欽差大臣として広州に派遣されました。
清廉潔白で正義感が強い人柄から、現在でも中国全土で広く賞賛・尊敬されている人物です。
未だに汚職が絶えない中国社会で、わいろで動かない林則徐のような人材は貴重でした。
アヘン戦争の原因
林則徐は、中国国内には「アヘン吸引をしたものは死刑」、外国に対しては「今後一切アヘンを持ち込まない」という誓約書の提出と、「アヘンを持ち込んだら死刑」という非常に厳しい対応を徹底しました。
この厳しい麻薬撲滅の取り締まりが、アヘン戦争を引き起こしました。
誓約書を提出しなかったイギリス人を貿易港・広東から追い出し、1839年6月にはイギリスのアヘン2万箱、1,400トンを没収・処分したことが、争いを仕掛けるきっかけを待っていたイギリス人に利用されたのです。
それでも彼がいれば
その後、林則徐は大臣を解任されました。
代わりに大臣になったキシャン(琦善)は、非常に低姿勢でイギリスに応対したため、香港がイギリスに割譲されるなど、清は西欧諸国と不平等な条約を交わす結果になりました。
もし林則徐が大臣を解任されなければ、戦争に勝てていたかもしれないと、現在でも多くの中国人が考えています。
大臣を解任された後も国のことを第一に考え続けた彼のまっすぐな忠義心は、知れば知るほど人々の胸を打つものです。
林則徐の思い
福建省に生まれた林則徐は、27歳の時に科挙に合格し進士となりました。
地方官を歴任し、農村の再建と治水問題に関わり、高い評価を得ています。
日本に影響を与えた
アヘン撲滅のため広東に派遣される際、林則徐は翻訳させた「世界地理大全」「四洲志」「各国律令」で、世界と国際法について学びました。
「四洲志」を与えられた魏源(ぎげん)は、さらに多くの世界地理資料を集め、アヘン戦争敗戦の翌年に「海国図志」を出版します。
外国の先進技術を学ぶことで、その侵略から防御するという思想が、日本に大きな影響を与えました。
国と民を守りたい!アヘン厳禁論
アヘンを使用したり、持ち込んだものは死刑という、アヘン厳禁論に基づく大変厳しい対応をした林則徐ですが、それも国を想うからこそのものです。
道光帝にアヘン問題についてどう思うか聞かれた彼は「このままでは戦になった際に戦える兵がいなくなってしまうし、資金や褒美に与えるための銀も十分になくなってしまいます」と答えました。
「アヘンの密輸を止めるのは無理なので、関税をかけて資金源とするべし」と考えていた弛禁論者とは決定的に違っていたのが、国の将来を真剣に考える姿勢でした。
紀念館には、人々がアヘンを吸引する様子の写真や絵画、イギリスのアヘン運搬船のレプリカなどがあり、当時の様子を垣間見ることができます。
無私無欲の偉大な愛国精神
林則徐紀念館には林則徐直筆の書がいくつかあります。
これらは宋時代の有名な詩人、蘇軾(そ・しょく)や黄庭堅(こう・ていけん)の詩です。
マカオにあるものとは違いますが、中国で語り継がれる林則徐の名言が2つあります。
海納百川,有容乃大。壁立千仞,無欲則剛。
訳:海は数え切れないほど多くの川を飲み込み、それは広大である。
壁は測り切れない程に高く、それは無欲ゆえに強靭である。
苟利國家生死以,豈因禍福避趨之。
訳:国に利することであれば命をかけて行う。
自分の禍福を理由に、それを避けたりなどしない。
いかにも愛国のためにアヘン撲滅に力を尽くした林則徐らしい言葉ですよね。
彼は大臣を解任されて新彊へ飛ばされた後も、ただひたすらに国を思い、忠義を尽くしました。
新彊イリでは、農地改革を行い善政を敷いて、市民の絶大な信頼を集めたそうです。
マカオはポルトガルとの交渉の舞台
林則徐は1839年9月にマカオを訪れ、ポルトガル人にアヘン取引の禁止と、中英の対立に中立の立場を取ることを確約させました。
マカオの中国人たちは、媽閣廟近くのバラ要塞や、モンテの砦、南湾要塞など彼の行く先々で計19発の祝砲を鳴らすなど、英雄の訪問に大変な歓待をしたようです。
歴史的瞬間を目撃した蓮峰廟
1839年に、林則徐がポルトガル役人と交渉した舞台、蓮峰廟の東屋です。
マカオでもっとも優れた意匠だと言われています。#マカオ再発見 pic.twitter.com/uDF36fpcGV— 椿??いんよんちゃ通信 (@macaukiva) August 20, 2020
中国とポルトガルの交渉が行われた東屋は、現在でも蓮峰廟にそのまま残っており、誰でも見学することができます。
その美しい意匠は、マカオで最も優れていると評判です。
蓮峰廟は、海の女神アマ様を始め、関帝や医者の神様など様々な神様がまつられています。
マカオで最も古いお寺の1つでもあり、見どころの多いお寺です。
アクセス・行き方
林則徐紀念館は1997年、蓮峰廟の敷地内に建てられました。
マカオ半島北部の中国国境に近いローカルエリアにあり、紅街市やかつてのドッグレース場の近くにあります。
徒歩で
珠海市とのボーダーゲート(国境)から徒歩10分強。
路線バスで
リスボア前バスターミナル「亞馬喇前地」から「8A」で「拱形馬路/蓮峰廟」下車すぐ。
所要時間訳30分、8~20分に1本
リスボアホテル前「葡京酒店」から「10」で「拱形馬路/蓮峰廟」下車すぐ。
所要時間訳30分、7~15分に1本
ホリデイインマカオ前「北京街/假日酒店」またはリオホテル前「高美士/利澳」から
「28B」で「拱形馬路/蓮峰廟」下車すぐ。
所要時間訳30分、9~15分に1本
タクシーで
メモに「蓮峰廟(lin4 fung1 miu6、リンフォンミウ)」と書いて渡すか、地図やガイドブックを見せて、指差しで伝えるのが確実です。
英語は多くのタクシーで通じませんので、筆談できる道具があると便利です。
マカオのガイドブックは地球の歩き方 マカオ 2018~2019がおすすめです。地図が素晴らしい。
施設情報
林則徐紀念館
住所:澳門罅些喇提督大馬路(蓮峯廟敷地內)
営業時間:9:00~17:00
定休日:月曜とマカオの祝日
料金:大人5MOP(約70円)、8歳以下と65歳以上は3MOP(約40円、要身分証提示)
歴史に残る英雄の偉大な精神
林則徐の勇気は、現在でも中国で広く称えられています。
一途に清廉潔白に、ただひたすら国のためを考える政治家なんて、現代でもなかなかいないですよね。
当時広州やマカオで何が起きていたのか、知りたい人はぜひ足を運んでみてください。
以下におすすめのマカオ旅行本を紹介しておきます。
マカオ行ったらこれ食べよう!: 地元っ子、旅のリピーターに聞きました。
CREA Traveller Autumn 2019 (新しさと懐かしさと 香港・マカオ)
今週のお題「怖い話」