マカオで最も有名な観光スポット、世界遺産聖ポール天主堂には日本人とマカオの知られざる深い関わりが隠されています。
マカオへやって来た日本人の歴史について紹介します。
この内容は、以下のHISオンラインツアーでもご紹介しています。
マカオにやってきた日本人
キリスト教にまつわる、日本人とマカオに関する逸話が残っています。
修道院の優秀な少年たち
戦国時代、ちょうど本能寺の変が起きた頃、この聖ポール天主堂跡が建設されました。
ここはアジア最大の教会であり、アジアで最初の西洋式の大学でした。
聖ポール天主堂跡の創始者アレッサンドロ・ヴァリニャーノは、九州に渡りコレジオ(青少年向けの司祭養成学校)を建立し、「天正遣欧少年団」を計画しました。
中学生ほどの4人の少年は、ヨーロッパへ向かう途中マカオへ立ち寄り、マラッカへ向かうために風を待ちつつ、ここで学びながら1年弱を過ごしました。
ヨーロッパでのお披露目は大成功を修め、その内1人は後にマカオで司祭となりました。
故郷を追われたキリシタン
時は江戸時代。
キリスト教弾圧を受けて、マカオやマラッカに追放される日本人が少なくありませんでした。
そこでマカオへたどり着いた日本人は、聖ポール天主堂のすぐ近くに集落を作って生活していました。
日本人が暮らしたエリアは今も面影を残しており、現代では地元の人々が暮らしています。
聖ポール天主堂建設に携わった日本人
聖ポール天主堂跡は、建設後数百年経った今でもキレイに残る、精緻な美しい彫刻が見どころです。
実はこれらの彫刻は、日本人の職人さんが手がけたものだと伝えられています。
複雑な意匠を表した数々の彫刻の中には、
- 日本のシンボルが刻まれている
- 有名武将の顔が彫られている
など、この教会と日本人のつながりを示唆するものがいくつかあり、大変興味深いです。
聖ポール天主堂跡に関するこれらの豆知識はマカオ人なら誰でも知っていて、昔から日本人がマカオでいい関係を築いてきたことを示しています。
日本人キリシタンの遺骨
聖ポール天主堂跡には、日本人の骨が納めてあることをご存じでしたか?
聖ポール天主堂跡地下にある納骨堂には、日本で殉教した日本人キリシタンの骨が大切に集められ、手厚く供養をしてあります。
アジア最大の教会であり、ヨーロッパとアジアをつなぐ架け橋となった、マカオで眠る日本人の骨。
歴史の重みを感じる、貴重な資料です。
日本とマカオの意外なつながりを発見
キリスト教が広まった九州や関西から、アジア宣教の中心地となったマカオへやって来た日本人がたくさんいたことに、驚いた方もいおられるかもしれません。
故郷を離れてマカオで永眠する人々は、何を思うのでしょう。
貿易のために度々マカオを訪れていた武士たちが、そのプライドの高さゆえにマカオのポルトガル人を相手に大きなトラブルを引き起こしたというお話は、またの機会に。
今日のお話に興味がありましたら、オンラインツアーで現地の雰囲気を感じながら、実際にあなたの目で歴史的遺物を目撃するのもおすすめです。
マカオのガイドブックは地球の歩き方 マカオ 2018~2019がおすすめです。地図が素晴らしい。
以下におすすめのマカオ旅行本を紹介しておきます。
マカオ行ったらこれ食べよう!: 地元っ子、旅のリピーターに聞きました。
CREA Traveller Autumn 2019 (新しさと懐かしさと 香港・マカオ)